なにかを続けるということ

続ける、は、力なんだと思う。

私は幼稚園から中学卒業まで習字教室に通っていた。

他にもいくつか習い事はしたが、長く続いたのはそれだけだった。

 

他にはピアノ、水泳だけ経験があるが、ピアノは一年で辞めた。

幼稚園生のピアノなんて大したことなかったはずだが、毎週出される宿題と、出来ないとイライラする経験者の母がいやで結局ピアノ自体が嫌いになって辞めた。むしろ一回目のあとからも行きたくなかったが、どうしても一年は続けろと言われて続けた記憶がある。

もう20年以上たっているのにまだ覚えているんだから、そのくらい嫌だったんだと思う笑

水泳は小学校3-4年の時に2年ほど続けた。クラスで新しく仲良くなった友達と始めて、水泳自体も楽しく、週に2-3回行っていたけど、小学生女子ならではの友達とのいざこざがあって辞めてしまった。選手になりたいとか思ったこともないので、特に未練もなかった。

 

結局残ったのは習字教室だけだった。

始めたのは友達が始めたからだったけど、先生も優しくて、週に一回なので、まあ行くか~という感じで続いた。

平日木曜の夕方と土曜に教室は空いていて、好きな日に行って一時間くらい練習する。

週に一回でもめんどくさくなって休むこともままあったけど、行ったらそれなりに楽しく、よっぽどうるさくしなければ先生は優しくて厳しくされることもなかったしから続けられた。

毎年冬休みの宿題の書初めも、教室で指導もしてくれた。そのため、上手くできて大体毎年校内のどこかに飾ってもらえたので、誇らしかった。

水泳以外の運動は苦手だったけど、勉強と書道がそれなりに出来たので自尊心を保てたのだと思う。

 

中学ではテニス部に入ったが、部活の意味不明なルールの数々に嫌気がしてすぐにいかなくなってしまった。

部活にありがちな、休んだら校庭何週ね、みたいなやつである。

仲のいい友達と二人で入部したものの、二人して帰ってテレビ見たりビデオ借りたりして楽しむ方が好きだったので、しょっぱなからさぼりまくっていた。2年生の先輩に無視されたりもしたけど、二人でいたから平気だった。

すると校庭何週ね、が溜まりまくってしまう。そんなの無視して練習していたけど、夏休みに久しぶりに行ったある日、「いつも来ないんだから」と、同期の子にあと片づけを二人で全部やらされた時から行かなくなった。

いまでも思うけど、いつも行かないことでだれかに迷惑かけてないでしょ?

まあ、毎日自分はさぼらずに来ているのに、たまに来てむかつく、みたいな気持だったろうなってことはわかるけどね。

でもさぁ、ずるいとか思うなら自分もやれば?楽しむためにやりたいんですけど??

こういう、しょうもない理不尽を受け入れられないところが社会性がないのでは、、と自分で心配していたことがあったけど、今となっては良かったなって思う。

どうでもいい忖度とか理不尽を受け入れ続けたから物言わぬ労働者が増えちゃったんでしょ?

変えていこうとしないといけないとおもうし私はそれを応援したい。

 

部活だって、来たいときにくるスタイルでもいいはずなのに、それを許さないでしょ。もしそれが許されてたらテニス続けられたかもしれないな~とも思う。厳しく鍛錬したい人と、趣味の一環としてやりたい人どっちもいてもいいじゃん。

 

細々でも続けることは、自分の栄養になってるから、これからの人生もっと続けられるものを増やしたいなと思案中です。

家の近所に前ならってたところと同じ系列の習字教室があったのでそこに見学行こうと思ってるのと、大人のバレエの体験をしてきます~

続けられるといいな~